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Becomingバックナンバー

雑誌『Becoming』バックナンバーの内容を紹介します。

第1号~第35号

ご注文はDQC00141@nifty.comまでお知らせ下さい。
​ 品切れ:第1号~第10号、第12号~第16号、第18号、第20号

第 1号
(1998.3)

酒鬼薔薇君の欲動 作田啓一 

独りで行った供犠の向こう側に、彼は何を求めていたのか。(400字×50枚程度)

回想の中の幼年期 ─ オクノフィリアとフィロバティズム 新堂粧子 

対象に執着するオクノフィリア的選好と対象なき広がりへのフィロバティズム的選好。(400字×55枚程度)

 

孤独論 作田啓一   

人間は本性上社会的存在であると見る通説へのひとつのアンチ・テーゼ。デュルケームの『自殺論』を読み直す。(400字×70枚程度)

第 2号
(1998.9)

フェリーニの『道』 作田啓一 

ジェルソミーナの無辜(innocence)について。(400字×10枚程度)

過程としての狂気 村澤真保呂 

ベルクソン-ドゥルーズに従い、一般に狂気とみなされているものが実は正気であることを明らかにする。(400字×50枚程度) 

ノスタルジーの概念 藤井奈津子 

どこにも存在しないところへ向かう郷愁。レヴィナス-ベルクソン-ジャンケレヴィッチ。(400字×40枚程度)

フロイト-ラカンによる昇華概念の検討 作田啓一   

欲動の運動の終局に現実的他者(母)が象徴的父のもとへ到来する。(400字×60枚程度)

第 3号
(1999.3)

超社会化の存在論的基底 作田啓一 

ベルクソンとフロイトの接点を見いだし、社会化論の限界を明らかにする。(400字×55枚程度) 

黒猫の棲む領界 西山けい子 

ポーの『黒猫』をラカンとバタイユの理論により分析する。(400字×30枚程度) 

 

精神病・倒錯・神経症・昇華への序論 新堂粧子 

精神病理の3形態との比較によって昇華の本質を論じる。(400字×75枚程度)

 

編集後記 「いずみ病院」訪問記 同人D   

精神病棟の新しい組織のルポルタージュ。(400字×10枚程度)

第 4号
(1999.9)

「子供を受け入れる」とは何か 高橋由典 

新約聖書の1句を〈世界〉の向こう側の視点に身を置いて解読する。(400字×15枚程度)

「おくのほそ道」における創造と狂気 村澤真保呂 

開かれたものへの変わらない旅の中での芭蕉の変身に焦点を当てる。(400字×45枚程度) 

 

テュケーの効果 ─ 『夢十夜』の第三夜をめぐって 亀山佳明 

父親殺しとは異なった象徴化の罪というラカン的視点から第三夜を読む。(400字×40枚程度)

 

REBIRTHDAY ─ 生誕の象徴的体験をめぐって 岡崎宏樹 

S. グロフの呼吸法の体験を記述し、理論的解釈を展開する。(400字×50枚程度)

 

ジョイスとシュレーバー ─ ラカンによる精神病へのアプローチ 作田啓一   

ボロメオの結び目の図形にもとづいて、2つの精神病の特徴を明らかにする。(400字×50枚程度)

第 5号
(2000.3)

悪の類型論 ─ ラカン-ジジェクによる 作田啓一 

現実界、象徴界、想像界の崩れたバランスの中に悪の発生源を見る。(400字×45枚程度) 

神経症の3類型 新堂粧子 

フロイトの3症例(ハンス、ドラ、鼠男)をラカン-ジュランヴィルの視点から検討する。(400字×55枚程度)

 

 誘惑する女 ─ どこにもいない女 伊藤 RANDA 美緒 

エヴァにとって代わられたリリスに〈世界〉の外の女の原形を探る。(400字×30枚程度) 

 

小説   D氏 葱里奈於子   

生活感を欠いた2人の奇妙な共同生活。14歳の少女の作品。(400字×80枚程度)

第 6号
(2000.9)

他者の発見あるいは倫理の根拠 ─ 夏目漱石『道草』をめぐって 亀山佳明 

相対的他者と絶対的他者を区別し、〈世界〉の外からやってくる後者に自己の存立と倫理の根拠を見いだす。(400字×45枚程度) 

開かれる最期の一日 ─ アンゲロプロス『永遠と一日』 西山けい子 

アンゲロプロスの一作品を通して、愛とその応答との間の時の落差を考察する。(400字×30枚程度)

 

北野武における暴力と世界の創設について 樫村愛子 

暴力の視点から武映画の変遷をたどり、現代社会の隠喩を読みとる。(400字×15枚程度) 

 

書評   東浩紀『存在論的、郵便的 ─ ジャック・デリダについて』  (新潮社、1998) 織田年和 

デリダの70年代の作品に焦点を置いた解読への批評。(400字×15枚程度) 

 

「引きこもり」私感 ─ レヴィナスの「帰還なき旅」をめぐって 萩原俊治 

子供の引きこもりを経験した父親による省察。(400字×25枚程度)

 

真の自己と2人の大他者 ─ ラカンとレヴィナスが交わる点 作田啓一   

ラカンとレヴィナスにおける大他者像を対照させることで、大他者との出会いにより真の自己が形成されるという、超社会化論へ向かう。(400字×70枚程度)

第 7号
(2001.3)

倒錯としてのいじめ 作田啓一 

いじめのサディズムの蔓延の中に倒錯の時代の到来を見る。周辺人の排斥というシステム論的説明の限界を指摘。(400字×70枚程度) 

『白鯨』における追放と解放 村澤真保呂 

メルヴィルの白鯨は掟を課する父であり、それと闘うエイハブ船長は有機体の限界を越え脱領土化をめざす。(400字×40枚程度) 

 

イエスの沈黙命令 高橋由典 

イエスの治癒行為とそれに関して出された沈黙命令との意味を、共同体を超える愛の視点から検討する。(400字×30枚程度)

 

掌編   イリュージョン 葱里奈於子 

思春期の感性が描く、夏の午後の不思議な出来事。(400字×10枚程度) 

 

昇華における愛の贈与 ─ ラカンの転移論を通して 新堂粧子 

分析空間を通して昇華過程を考察。不可能なものに向かう分析家の欲望が、被分析者を〈世界〉の外へ連れ出し昇華へ導く。(400字×60枚程度) 

 

歴史から自閉へ ─ T.H. オグデンの精神分析論・紹介 竹中均   

クライン、ウィニコットらのイギリス対象関係論をアメリカで展開するオグデンの主張を紹介。(400字×35枚程度)

第 8号
(2001.9)

ロマン主義・倒錯・アノミー 作田啓一 

ロマン主義の思想の検討をつうじて、社会学的概念であるアノミーの中に、精神分析の言う倒錯を見いだす。(400字×55枚程度) 

生成する天使 ─ メルヴィル「バートルビー」を読む 西山けい子 

ドゥルーズの論を手がかりに、〈世界〉の外から送られてきたようなバートルビーの謎と魅力に迫る。(400字×45枚程度) 

 

不可能な体験 ─ バタイユにおける連続性と〈交流〉について 岡崎宏樹 

連続性への回帰は可能なのか不可能なのか。J.=L. ナンシーの「共同体」概念を通して、バタイユにおける昇華の問題に接近する。(400字×40枚程度) 

 

愛の逆説と世界への眼差し ─ 中島みゆきについて「語ること」をめぐって 吉田純 

人が中島みゆきについて語りたがるのは、彼女が自他の水準を超えた超越的他者の場所にいるからである。(400字×25枚程度) 

 

ノーマン・O. ブラウン『死に対抗する生』について 桐田克利   

「死からの逃走」としての文化形成にとどまらず、死の受容を経た「身体の復活」へと向かう昇華の理論を探求する。(400字×30枚程度)

第 9号
(2002.3)

外部性の喪失と個人主義 ─ 夏目漱石の『行人』をめぐって 亀山佳明 

女性との一体化を希求する前半と自然との溶解による救済を示唆する後半との不連続は、女性と自然を共に〈世界〉の外の表徴とみることで解消される。(400字×50枚程度) 

カミュの『ペスト』の世界 村澤真保呂 

ペスト菌=悪ととらえるタルーと、人間-ペスト菌間の破壊的関係を悪ととらえるリウー。2人の主人公の世界観と倫理の対照に、カミュの思想を読みとる。(400字×40枚程度)

 

倒錯の類型論 新堂粧子 

性倒錯理論とラカン-ジュランヴィルによる倒錯の3類型論との関連を考察し、さらに後者をドゥルーズの「自然」の観点から補強する。(400字×60枚程度)

 

ナルシシズムという倒錯 作田啓一   

ナルシシストは価値体系を否認して理想自我に魅入られる。他者を無視するオタクはその意味でナルシシストの典型である。(400字×65枚程度)

第10号
(2002.9)

愛の深層 ─ ラカン-ジジェクを通して 作田啓一 

現実界に根ざす愛の特徴を明らかにし、この観点からレヴィナス、エリス、竹田の説を取り上げる。(400字×60枚程度) 

『異邦人』の力 野口良平 

理由のない苦しみを負わされたムルソーに世界はどう見えたか。(400字×25枚程度) 

 

ヒステリー的人間の逃走 伊藤 LANDA 美緒 

女がエロスの対象から逃避するのは自分の身体への恐れからである。(400字×30枚程度)

 

記憶の二つの理論 ─ フロイトとベルクソン 松浦雄介 

事後的に構成される記憶(フロイト)と現在の中に潜在し現実化される記憶(ベルクソン)。(400字×40枚程度) 

 

体験選択と対象の変容 高橋由典   

至高の体験から日常世界へのストレートな帰還とそれへの屈折した帰還との対比。(400字×50枚程度)

第11号
(2003.3)

空虚感からの脱出 ─ 豊川市主婦刺殺事件の少年 作田啓一 

動機なき殺人の一事例の分析。この少年をアスペルガー症候群とする診断に疑問をいだく本論は、今日広がっている制度と感情のずれに照明を当てる。(400字×85枚程度)

少女のイニシエーション ─ カーソン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』 西山けい子 

少女が大人になる時、その内面では何が起きるのか。生命の充溢を通過して有限の世界へ参入する少女フランキーの場合を見る。(400字×40枚程度) 

 

体験選択と純粋記憶 ─ ベルクソンの行為論的読解 高橋由典 

合理性を超える行為の研究をめざして、筆者独自の「体験選択」概念をベルクソンの純粋記憶に関係づける試み。(400字×35枚程度) 

 

他者と迷宮 ─ 『パサージュ論』に隠されたもうひとつの都市論 近森高明 

ベンヤミンの都市論における遊歩者は表層のテーマ。群集と迷路の中に「無気味なもの」を見る新しい読解が呈示される。(400字×50枚程度) 

 

『Becoming』既刊号目次一覧

第12号
(2003.9)

自然と自己本位 ─ 夏目漱石に見る個人主義の問題 亀山佳明 

東西の自然観を比較することで漱石の自然観を位置づける本論は、その観点から漱石の言う自己本位とは何であるかを明らかにする。生前未発表の日記、論文などを詳細に検討している。(400字×90枚程度) 

直接性の倫理 ─ ベルクソンそしてバディウとジジェク 作田啓一 

与えられた選択肢間の選択ではなく、選択するかしないかの選択に倫理を見いだす思想。(400字×45枚程度)

 

ラカンにおける2つのイマジネールと昇華 新堂粧子   

ラカンのイマジネール(想像界)の概念は初期の鏡像段階から後期のボロメオの結び目へと位相を高めている。後期の理論によって昇華の意味が確定する。(400字×70枚程度)

第13号
(2004.3)

無意味と空虚 ─ ボロメオ結びからの発想 作田啓一 

近代化に伴い広がった無意味感(ニヒリズム)に対処する教説として、予定説、永遠回帰説をとりあげる。さらに現代に広がる空虚感とそれに対処する思想についても言及する。(400字×50枚程度)

生成としての自律 ─ バタイユのニーチェ論 岡崎宏樹 

バタイユは「好運への賭け」を通して、ニーチェの思想を実践しようとした。内在性を根拠とする価値創造の運動が、既成の権威に拠らない〈道徳外的自律〉を可能とする。(400字×45枚程度) 

 

カリーナ時代のゴダール  (Ⅰ) ─ ルノワール(印象派)への遡行 垪和宗紀 

ゴダール映画の中に埋め込まれた印象派のメッセージを読む試み。生成の観点から芸術を定義する理論枠を呈示。(400字×60枚程度)

 

ワシーリー・グロスマンの『人生と運命』 萩原俊治   

スターリン時代の全体主義体制を描いたグロスマンの大作『人生と運命』(本邦未訳)への案内。(400字×45枚程度)

第14号
(2004.9)

ラカンを通してのニーチェ ─ A.ジュパンチッチ The Shortest Shadow   を読む 作田啓一 

ニーチェの哲学とラカンの分析理論との間には思いのほか共通性がある。力への意志と限りのない欲望、など。本論はこの斬新なアプローチの紹介。(400字×55枚程度) 

自己本位と則天去私  (上) ─ 夏目漱石に見る個人主義の問題 亀山佳明 

論者は漱石の生き方と芸術・宗教観とを支える基本的な価値観は自己本位と則天去私であると見る。その観点から自己本位を巡っての自己と他者の困難な関係が、丹念にたどられている。(400字×60枚程度) 

 

時への捧げもの ─ 『めぐりあう時間たち』と存在の瞬間 西山けい子 

副題の映画の原作はV.ウルフ『ダロウェイ夫人』に触発された現代版。本論は原作・脚本との照合のもとで、3つのエピソードに共通する死を通しての生の瞬間をとらえている。(400字×60枚程度) 

 

小説   ストーカー殺人事件 葱里奈於子   

ストーカーから逃れ、ひなびた港町にやってきたブンとウシは・・・。どこか不思議な人物たちが繰り広げる葱里ワールド。(400字×35枚程度)

第15号
(2005.3)

生の横溢と鬱屈 ─ ニーチェ-シェーラーのルサンティマン論をめぐって 作田啓一 

弱者への同情をすべてルサンティマンとみなすことはできない。シェーラーのこのニーチェ批判を通し、愛の2形態を、ラカンの言う欲望と欲動とに対応させる。(400字×70枚程度) 

自己本位と則天去私  (下) ─ 夏目漱石に見る個人主義の問題 亀山佳明 

則天去私は漱石の宗教観を表すとも、人間世界をポリフォニックに描く彼の芸術的方法論を表すとも解されてきた。筆者は『明暗』の中にこれら2様の則天去私の重奏と超個人の思想を読み取る。(400字×65枚程度)

 

模倣、あるいは社会の昇華 ─ ガブリエル・タルド「模倣の法則」をめぐって  (1) 村澤真保呂 

デュルケムにより葬り去られたタルドの模倣理論は、物心二元論を超えているため誤解されてきた。本論は模倣を経た発明の頂点を、個人の中の〈美〉に見いだす。(400字×45枚程度) 

 

昇華の3形態と芸術の3様式  (上) 新堂粧子   

芸術・宗教・科学の昇華的営みの特徴を検討する。フロイトのヒステリー・強迫神経症・パラノイアとの対応、およびラカンの抑圧・置き換え/否定・排除との対応の整理。(400字×40枚程度)

第16号
(2005.9)

羞恥論 作田啓一 

しばしば恥の中に含まれてしまう羞恥の概念を確立する試み。恥は社会的劣位の露呈から生じるのに対し、羞恥はその劣位とはかかわりなく、主体の固有の自己の露呈から生じる。サルトル、シェーラーなどの羞恥論の検討を経て太宰治の事例に及ぶ。(400字×70枚程度)

時間とあいまい ─ 『戦争が遺したもの』(鶴見俊輔ほか)から 原田達 

戦後世代(上野千鶴子、小熊英二)によるインタビューでの鶴見の言い淀みの中に、彼の思想を支える発想法の原点を探る。鶴見の「同情の哲学」(小熊)の実存的深さと困難性を指摘。(400字×50枚程度) 

 

昇華の3形態と芸術の3様式  (中) 新堂粧子 

ラカンージュランヴィルの昇華論の解説を通して、芸術、宗教、科学の昇華的特徴を比較し、芸術を昇華の形態の純粋モデルと考える。さらに、現実界への欲望の障壁としての善と美の機能について、ラカンの見解を要約する。(400字×50枚程度)

 

映画散策

 『ミスティック・リバー』『コールドマウンテン』『欲望という名の電車』『天国と地獄』『ヘッドライト』『外人部隊』(400字×25枚程度)

第17号
(2006.3)

島尾敏雄・不安の文学 作田啓一 

高名となった『死の棘』でこの作家は病んだ妻への絶対的な自己放棄を描いた。近代的自我を主張することの困難は、突然襲来する「不気味なもの」への不安と通底している。ラカン理論を手掛かりにした島尾文学の読解。(400字×100枚程度)

存在のイノセンスについて ─ ジョン・スタインベック『二十日鼠と人間』 西山けい子 

季節労働者のレニーは頭は弱いが力持ち。その力が余って何の悪意もなく生きものを殺し、社会から追いつめられる。しかし彼の無垢そのものが周囲の人々に〈存在〉を呼び覚ます、と論者は指摘している。(400字×35枚程度)

 

〈ガス灯〉の神話学 ─ 過渡期の技術をめぐるアウラとノスタルジー 近森高明   

ベンヤミンの〈ガス灯〉ノスタルジーを、「アウラ」と「無意志的記憶」の視角から検討し、アウラやノスタルジーの現実変革可能性を肯定する彼の隠された思考にアプローチする。(400字×60枚程度)

第18号
(2006.9)

脱植民地化と故郷喪失 ─ ピエ・ノワールとしてのカミュ 松浦雄介 

アルジェリアの脱植民地化は、入植フランス人の当地からの引揚げ ─ 故郷喪失と彷徨 ─ を余儀なくする。カミュの後期小説に、彼ら引揚げ者たち(ピエ・ノワール)の運命の予見を読み取る。(400字×60枚程度)

 

究極の他者について 作田啓一 

究極の他者は、象徴化から洩れ落ちた現実界に根をおろす。脆弱者、逸脱者、神秘家など。これらのイメージはアガンベンやドゥルーズ-ガタリの枠組の中にも対応物をもつ。(400字×35枚程度) 

個人から超個人へ ─ 夏目漱石に見る個人主義の問題 亀山佳明 

講演で個人主義の倫理を説いた漱石は同時に『こころ』ではその困難を描いた。この矛盾を超える超個人の思想を、論者は晩年の『明暗』などで探求している。(400字×35枚程度)

贈与行為についての行為論的分析  (1) 高橋由典 

合目的の交換に回収されない「過剰な贈与」の動機は何か。まず、贈与を交換から切り離す思考方法=行為論的還元の手続きを提示する。(400字×30枚程度) 

 

映画散策

『キッチン・ストーリー』『ジョゼと虎と魚たち』『まぼろし』『リトル・チュン』『サンタ・サングレ』(400字×50枚程度)

第19号
(2007.3)

武田泰淳 ─ 他者との遭遇 作田啓一 

この人ほど戦場・戦後の体験が作品を書く動機づけとなった作家は珍しい。それはこの体験が自己中心的な世界の外に在る他者の体験であったからだ。彼は自律的であるとされる主体が他者により操られるという認識により、超近代的な作家となりえた。(400字×85枚程度)

贈与行為についての行為論的分析  (2) 高橋由典 

「ベタニヤの塗油」(新約聖書マルコ福音書)のエピソードを取り上げ、無目的な贈与・放棄の問題を考察する。高価な香油を一気にイエスに注いだ女の行為の動機とその成立根拠は何か?(400字×35枚程度) 

 

喜劇と欲動について 新堂粧子 

S.フロイトの機知論とA.ジュパンチッチの喜劇論に依拠して、喜劇におけるリアルの顕現と笑いの生起を検討。悲劇と喜劇がもたらす芸術的感動の差異を、欲望と欲動の観点からとらえてみる。(400字×60枚程度)

第20号
(2007.9)

人間の聖性について ─ バタイユとアガンベン 岡崎宏樹 

聖性に関するバタイユの思考の核心を、アガンベンとの比較において炙り出す。剥き出しの生が、嫌悪と恥ずかしさを超える脱自的「交流」を、主体たちにもたらすことは可能か。筆者は自らの体験を振り返り、この問いに可と答える。(400字×45枚程度) 

純粋な赦しを巡って 作田啓一 

無条件の赦しは可能か。不可能だ。だがそれなしには不純な赦しも実現しない(デリダ)。純粋な赦しには純粋な正義が対応する。本論は純粋な赦しの底に苦悩の共有を見る。(400字×50枚程度) 

 

〈なること〉とは何か ─ ドゥルーズ-ガタリの動物への生成変化 藤井奈津子 

子供たちはさかなやくらげ、いせえび、等々に〈なって〉、非日常的身体に興じる表現者となった。─ 鳥山敏子の教育実践、「なってみる」授業の本質を、ドゥルーズ-ガタリの生成変化の概念により明らかにする。生活力とは異なる「生きる力」の呈示。 (400字×55枚程度)

 

幻想において交錯する二つの視角 ─ E.T.A.ホフマン『砂男』をめぐって 平田知久   

個別的身体とそれにもとづく主観性をもつこととなった近代の主体は、幻想を内包する現実の中に生きなければならない。この現実を生きる方途を、ホフマンの表現技法のうちに見いだす。(400字×60枚程度)

第21号
(2008.3)

見つめ返すまなざし ─ アウラ、プンクトゥム、対象a 西山けい子 

ベンヤミンのアウラ、バルトのプンクトゥム、ラカンの対象a は、現代思想の中のキイ概念である。本論はこれら3つの概念を検討し、これらの間に共通の属性があることを見いだす。(400字×60枚程度) 

夢野久作 ─ 現実界の探偵 作田啓一 

『ドグラ・マグラ』で知られる夢野の魅力は無意識の探求にある。それは予感、分身など時空軸上のトラブルにかかわる。しかし彼はその内的経験を反西欧のイデオロギーへと移し替えた。(400字×60枚程度)

 

主体なき歌 ─ 中原中也と身体的パフォーマンス 亀山佳明 

歩き廻り、歌いながら詩作した中也は、「名辞以前」の生命的リズム体験を表現しようとした。彼の韻文詩の魅力を、そのリズム性とそれに乗って流れゆくイメージの運動性の観点から探る。(400字×60枚程度)

 

映画散策 

『記憶の扉』『追想のオリアナ』(400字×25枚程度)    

 

『Becoming』既刊(第11号-第20号)目次一覧

第22号
(2008.9)

報復・正義・赦し 作田啓一 

報復から正義の裁きに至る刑事的制裁の進化の過程は、その裁きの母胎の共同体そのものを裁く点まで到達する。その地点で正義は赦しに向かって開かれる。これが攻撃性の昇華である。(400字×40枚程度)

 

尾崎豊のコミュニケーション ─ 音楽と救い 岡崎宏樹 

孤独な人びとの悩みを音楽で「救いたい」という尾崎。ファンと苦しみを分かち合い一体化の幻想をもたらす「癒し」から、孤独の共振を通して愛の予感へと開かれる「救済」へ。(400字×35枚程度)

『雪ふる道』試論 野口良平 

『大菩薩峠』の作者中里介山の唯一の現代小説を取り上げる。主体意識を超える「奇遇」によって進展する人間関係。その「奇遇」を成立させる「カルマ」と「自業自得の境地」を読み取る。(400字×50枚程度) 

悲劇の2タイプ ─ アンティゴネとシーニュ 新堂粧子   

彼方のリアルを追い求めて〈世界〉を超え出るアンティゴネと、襲来するリアルを拭い去り「空無」と化して〈世界〉から脱落するシーニュ。両者は異なる欲望とリアルを実現する。これら悲劇の2タイプを含む芸術の3様式論を提出。(400字×80枚程度)

第23号
(2009.3)

亡霊の記憶、亡霊の夢 原田達 

時空を超えて現在の私に突然取り憑いてくる記憶を「亡霊の記憶」と呼ぶ。亡霊の声に聞き従い、亡霊が語る記憶を収集するベンヤミンの歴史哲学に、鶴見俊輔の歴史叙述の方法を重ねてみる。(400字×80枚程度)

直接性を迂回する ─ ベンヤミンの《弁証法的イメージ》について 近森高明 

意味的言語の世界の外部=直接性の次元を、ベンヤミンは図像としての(意味を欠く)言語を介して捉えようとする。この言語を読み解くミメーシス能力とアレゴリー的視線の両極性に焦点を当てる。(400字×55枚程度)

 

殺人禁止の掟とその効力 作田啓一   

近代前期から後期へ移るに従い、殺人禁止の掟の効力が更に弱まることを、ラカンの「言説」式を用いて表すと共に、動機なき殺人の実験型(『罪と罰』)とアノミー型を導出する。(400字×60枚程度)

第24号
(2009.9)

不特定多数を狙う犯罪 作田啓一 

ここ10年間、不特定多数を狙う秋葉原事件に類する事件が5件発生している。その背景には階層的地位が人間のすべてであるとする 社会の一次元的価値観がある。犯行はこの社会への怨恨から始まり、その価値の覆いを人間から剥奪しようとする破壊で終わる。(400字×55枚程度) 

 

叶えられた祈りのうえに・・・─ 映画『カポーティ』(ベネット・ミラー監督、2005年)評 亀山佳明 

映画は、一家惨殺事件の取材から始まり犯人のペリーの処刑に立ち会った作家カポーティが、『冷血』で大成功を収めたあと、作品が書けなくなった経過をたどる。この挫折の原因を、論者は作家の「リアルな分身」であったペリーの喪失の中に見いだす。(400字×30枚程度)

 

遊び論再考 高橋由典 

R.カイヨワを原点とする社会学的遊び論においては、日常生活からの隔離(隔離規範に従うこと)により社会秩序内に収まる遊びが視野に置かれる。この規範的要素を切り離した遊びそのものの精神の探求から、新たな遊び論が始まる。(400字×35枚程度)

 

対義語から読む『人間失格』 服部聡子 

太宰治の『人間失格』の中に対義語を考えるエピソードがある。罪の反対は何か。その問いは、無辜の人間がこの世ではなぜ罰(不幸)を受けるのかという問い(その逆も含めて)に置き換えられる。その問いに対する答えの探求が主人公の生涯を貫いている。(400字×40枚程度)

 

小説   キャリアウーマンの一日 葱里菜於子 

キャリアウーマンのマユカウ氏は、羽織ったコートの右端に異様な重みを感じた。そこにすがりついていた小さな生き物とのシュールな一日。(400字×30枚程度) 

 

本誌執筆者別論考一覧(第1号-第24号)

第25号
(2010.3)

文学的感動と幻想 作田啓一 

『カラマーゾフの兄弟』の中の1つの夢を手掛かりにフォースターは人物の広がりについて論じている。人物はその自我の外に出ることで広がる。本論はその観点から幻想の2タイプを区別する。(400字×35枚程度)

私小説と「私」という自己の可能性 ─ 古井由吉の作品を手がかりに 西山けい子 

自我の消失体験を核にすえ、それの主題化と主語解体の文体を模索する古井文学。「私」の外へと超出する「私」のあり方を、従来の「社会化した私」に対置し、新たな私小説論の可能性を示唆する試み。(400字×50枚程度)

 

オルハン・パムクとイスラム主義の声 ─『雪』における 松浦雄介 

西洋近代に与する作家が近代ブルジョワ文化の産物である文学を通して、非西洋のイスラム主義という他者の声を表象することは可能か否か。パムクの『雪』にその限界と可能性を探る。(400字×60枚程度)

 

ルソーの自然状態と『言語起源論』について ─ アルチュセール/ラカン風に 垪和宗紀   

ルソーの「自然状態」をアルチュセールの「重層的決定論」の観点から検討し、「言語起源論」をラカンの「鏡像段階理論」との相同性において解釈する。文脈に即しスピノザ、ドゥルーズにも言及する。(400字×50枚程度)

第26号
(2010.9)

自己愛と憐憫 ─ ルソー、ドストエフスキー、ニーチェ 作田啓一 

ルソーが自然の性向として仮定した自己愛と憐憫が、ドストエフスキーとニーチェにおいてどう展開されているか。この3人はデビュー当時の準拠集団への訣別という共通性をもつ。本論はドストエフスキーまで。(400字×75枚程度)

 

身体が生成するとはどういうことか 亀山佳明 

新しい身体所作を体得する「生成」の瞬間、個体の枠を超え「流れ」と一体化する身体感覚は、自己に意識の冴えと歓喜をもたらす。漱石の「自転車日記」、中井正一の言う「スポーツ気分」を参照しての考察。(400字×45枚程度)

 

純粋贈与について 岡崎宏樹 

交換の論理と有用性の視点に基づく〈制度としての贈与〉研究から、無償の贈与=「純粋贈与」の視点に基づく〈生成としての贈与〉研究へ。モースを起点に、レヴィ=ストロース、ゴドリエを踏まえ、ブラウ、今村仁司、バタイユの理論を検討。(400字×60枚程度) 

 

無差別殺人の構図 ─ 破壊と生のあいだ 間庭充幸   

80年代以降、新しい型の犯罪が目立つ。それは管理社会が課する抑圧からの解放をめざすが、抑圧者の正体が不明なため、抑圧から生じた怨恨の対象が不特定多数へと拡散する。秋葉原事件はこの型を代表する。なお、ネット依存の影響にも論及。(400字×45枚程度)

第27号
(2011.3)

自己愛と憐憫 ─ ルソー、ドストエフスキー、ニーチェ  (続) 作田啓一 

時としてニーチェはエゴイズムを称揚した思想家であると言われているが、じつは力への愛を主張していたのだ。有機物に入り込んだ力は強者と弱者とを分化させる。力の流れは円環運動する方向と垂直下降する方向とに分かれる。この観点から存在の感情(永遠回帰の体験)やルサンチマンを 位置づける。(400字×110枚程度)

動機としての体験選択 高橋由典 

ふつう行為の動機は理念・利害・感情のいずれかによる(行為選択)とされているが、本論ではそれ以外に体験選択を加える必要が説得的に展開されている。この選択以前の選択として魅了と溶解の2類型が提示される。(400字×55枚程度) 

 

記憶が鎮まるとき ─ トニ・モリスン『ビラヴド』から 原田達

人を殺めた場合の、あるいはまた殺戮の歴史における赦しの問題を、表題小説の読み込みを通して考察する。人々のrememory(受傷と加傷の消えない記憶)を重ね合わせることco-rememoryにより結ばれる人間的絆の可能性を示唆。(400字×70枚程度)

第28号
(2011.9)

対象不特定の報復 作田啓一 

秋葉原通り魔事件に見られるような不特定多数を狙う一連の事件の動機の1つに、承認の欲求を無視した社会への怨恨が見いだされる。このような場合、犠牲者とは的をしぼり切れなかったために拡散する報復の宛先にすぎない。本論は、この種の報復の観点から、児童虐待を、そしてパリ郊外の若者の暴動を検討している。(400字×35枚程度)

正宗白鳥にみる「つまらなさ」の特殊性 鍵本優 

「つまらない(詰まらない)」と言いつのった白鳥は、裏を返せば「つまる」ものを強烈に求めていたのではないか、と筆者は仮定す る。では白鳥はどこに向かおうとしたのか。彼は実世界を超越するものを見詰めようとしていたと言えないか。幼少期以来の「死の恐怖」に着目しながら、ひとつの推測を展開する。(400字×65枚程度)

小説   街は飛べまい 葱里菜於子   

連綿と続く血筋の一中継点にすぎない私。だが同時に私は過去の血筋と未来の血筋を含み持つ。そのような生の中での死とは何か、喪失とは何か。幻覚を通しての覚醒の到来。(400字×95枚程度)

第29号
(2012.3)

「存在の感情」と憐憫 作田啓一 

本論は2つの自我概念を検討したあと、ニーチェふうの自我の休息時に生じる「存在の感情」(ルソー)の一側面として、憐憫を位置づけている。続いて憐憫が、R.ローティの議論との照合において、社会統合の基礎となる可能性を見る。(400字×45枚程度)

スポーツの力とは 亀山佳明 

大震災の悲惨を生きた人々の体験をバタイユに拠って「至高の体験」と見るなら、それに見合う支援のあり方とはどのようなものか。中田英寿の行なったサッカーのチャリティ・マッチとW杯でのなでしこジャパンの試合ぶりを比較する。(400字×35枚程度)

記憶の地誌学 ─ ベンヤミンにおける都市・記憶・場所 近森高明 

近年注目を集めている「場所の記憶」というテーマに関する一考察。個々の場所に潜む、生活に密着した記憶の掘り起こしをもって、画一的都市開発に対抗するD.ハイデンの理論と実践を、ベンヤミンの都市論および記憶論を対照させて検討する。(400字×45枚程度)

E.A.ポーと二つのテレパシーの交錯 ─ 二人のジャックによせて  (1) 平田知久    

「手紙はつねに宛先に届く」というテーゼのもとに、無意識を伝達経路とするコミュニケーションの可能性を説くラカンに対し、「手紙は宛先に到達しないことがありうる」とするデリダ。テレパシーの観点から両者の議論を考察する。本論はその前半、ラカンのテーゼに関する部分。(400 字×70枚程度)

第30号
(2012.9)

日本近代文学に見られる自我の放棄 ─ 伊藤整の枠組に従って 作田啓一 

今日、自我の評価をめぐり意見が分かれているが、この観点から伊藤整の昭和20年代の仕事である私小説論が検討されている。彼は西洋風の発想法による本格小説を高く評価する一方、日本風のそれによる私小説にも強い共感を示す。(400字×60枚程度)

 

『死霊』の考究(1) 安部浩 

難解をもって知られる埴谷雄高の長大作を「心中から心中へ」の物語として読み解く試み。第一章の本稿では、主人公の兄と彼の昔の恋人、そして彼の革命運動の同志をめぐって生じた心中事件の含意を、3者の視点から探る。(400字×45枚程度)

ウェイクフィールドの近くて遠い旅 西山けい子 

ホーソーンの初期の短編に、格別の動機もなく家出して、妻の動静を20年以上も近くから観察し続 けた奇妙な男の物語がある。彼は突然帰宅し、以後平凡に過ごす。いくつかの動機解釈に加え、「虚無を経験したいという人間の深層の願 望」を指摘する。(400字×40枚程度)

E.A.ポーと二つのテレパシーの交錯 ─ 二人のジャックによせて  (2) 平田知久   

前稿で詳説したラカンによる「盗まれた手紙」の読解へのデリダの批判(「真理の配達人」での議 論)をたどる。コミュニケーションの不可能性がそれの成立を支えるというパラドクスに着目したデリダは、不可能性の中で生じる偶然の出会いに、テレパシー の本態を見る。(400字×55枚程度)

第31号
(2013.3)

タルコフスキーと近代の廃墟 松浦雄介 

タルコフスキー映画に現れる廃墟美を、従来の廃墟イメージの2タイプとの比較により考察する。古代のではなく近代の崇高な廃墟を審美化したそれは、伝統的廃墟美のイメージを超えるも、その廃墟の圧倒的な破局性には覆いをかけた。(400字×45枚程度)

日本近代文学に見られる自我の放棄  (続)─ リアルの現れる場所 作田啓一 

前 稿(第30号)から導き出された「集団力学的認識」と「死または無による認識」という2つの発想法による作品において、それぞれリアルが現れる場所が異な る。前者では諸項目間の隙間にナッシングが、後者では現象の底にサムシングが現れる。梶井、太宰、漱石、古井由吉等様々の作品を用いての検討。(400字×65枚程度)

『死霊』の考究(2)   安部浩 

主人公与志とその許嫁・安寿子の心中(「第二の心中」)の含意を闡明することで、本作の読解をさらに進める。「あってなく、なくてある何か」=「虚体」を巡る身を賭した思索と実践、および無償の愛への挺身の物語として。(400字×80枚程度)

『Becoming』既刊(第21号-第30号)目次一覧

第32号
(2013.9)

チェーホフ ─ 絶望と希望の文学 作田啓一 

本論は Ⅰ「絶望的な環境」 と Ⅱ「絶望する主体」 の2部から成る。Ⅰではチェーホフの描いた1880~90年代のロシヤの現実を農民、都市生活者など5つに区分して記述。Ⅱではそれに対応して絶望しているチェーホフの主要作品を分析する。しかし、その環境のせいだけとは言えないメタフィジカルな彼の絶望の原因を、筆者はその宿痾に苦しんだ作家の死の強迫の中に見いだす。その観点から従来謎とされてきたサハリン旅行の動機を、一種のカタルシス説によって説明している。最後に、その絶望にもかかわらず抱かれていた希望は、作家の未来からの視線による、との解釈が示される。(400字×110枚程度)

 

愛のふるまいの根拠 高橋由典 

筆者はシェーラーと同様キリスト者の立場に立ち、ニーチェがルサンチマンをキリスト教に見いだす見解の誤りを指摘すると共に、高次元(たとえば余裕のある人)から低次元(たとえば貧者)へ向かう愛が、規範を通過していないという点で、体験選択に属していると論じる。体験選択の内容としては「魅了」に並び「苦痛転写」の経験をも挙げうることを認め、その経験の生じる心的場所についても検討を加えている。(400字×25枚程度)  

ガラス窓の向こう側 ─ 『シルビアのいる街で』と他者の分身 原田達 

光を反射し、かつ透過させるガラスの効果を駆使して、この映画作品の監督ホセ・ルイス・ゲリンは、シルビアという女の幻影性(幻像、亡霊性)とプリズム性(分裂・屈折残像、分身性)を描く。彼女を取り戻そうとする男は、彼を見つめ返すことのないその女=永遠のシルビアを欲望しつづける。本作に導かれて筆者 は、反復、欲望、まなざし、分身論などの哲学的精神分析的テーマを廻游する。(400字×65枚程度)

第33号
(2014.3)

漱石における夜の思想 ─ 「夢十夜」と「坑夫」を巡って   Ⅰ 作田啓一 

「夢十夜」を解読するために、筆者は「夜の思想」という概念を提唱する。それぞれの夜における他界(死)の現れ方とそれの作中人物の受けとめ方を分析した石原千秋の論をたどり、他界の外部性と夢幻性に立ち会う。(400字×60枚程度) *「坑夫」については次号に続く。 

群れの美学 ─ チーム・スポーツの美しさについて 亀山佳明 

ベルクソンによる優美さとダンサーの動きの議論を参照した上で、筆者はサッカー競技を集団的舞踏であると想定する。〈生きた群れ〉とみなされるプレーヤーたちは、それぞれが独自性を保ちながらも互いに浸透し、優美な連動の形を生み出す。(400字×50枚程度) 

記憶の私秘性と集合性 ─ ベルクソンの記憶論をめぐって  (1) 金瑛 

持続する過去という潜在性の領域を現在に現実化する運動として記憶をとらえるベルクソンの議論の明解なレビュー。さらに動的図式の概念を用い、想い出のリアリティとそれの共有性について考察し、社会制度に回収できないものとして集合的記憶をとらえようとする。(400字×45枚程度)

ルサンチマンと苦難の神義論 高橋由典       

将来の救済のために現在の苦難があると説く苦難の神義論はルサンチマンとは無関係としたウェーバーであったが、彼はその根拠を示さなかった。本稿ではその根拠を体験選択概念を用いて提示すると共に、M.ウェーバーの概念装置の弱点を指摘する。(400字×50枚程度)

第34号
(2015.3)

漱石における夜の思想   ─   「夢十夜」と「坑夫」を巡って Ⅱ  作田啓一   

自殺願望をもつ主人公の銅山入山から下山までのいきさつが書かれた「坑夫」を、夜の思想の観点から読み通す。死への親近性からくる主人公の放心を背景にして、雲の中を歩くがごとくに描かれた入山場面の景色は、一幅の動く絵画のように幻想的で美しい。(400字×75枚程度)

征服と殉教 ─ 『暗黒事件』と『人質』 宇多直久       

70年の年月をへだてるバルザックの小説とクローデルの悲劇を対照的に読む試み。貴族階級と第三身分の社会的確執をテーマとする前者と、両階級を自己の内部に抱え込んだ作家の葛藤を作中の2人物に象徴化した後者。 (400字×50枚程度) 

閉ざされた扉の陰で  井上眞理子   

不作為の行為をも含むファミリー・バイオレンスの定義に始まり、その発生に関する理論(入れ子型エコロジカル理論、作田「ルサンチマン」論の応用)の紹介を経て、事例を示しつつ家族システムを変動するプロセスとして見る視点を提示。(400字×60枚程度)

リズム論的思考(1)    ─ 社会学とクラーゲスのリズム論  岡崎宏樹   

生命のリズム、社会のリズム、音楽のリズムの関係を追究する理論構築のための試論。リズムの駆動性や創造性をとらえる論理を〈リズム論的思考〉と呼び、その  (1)の本論においては、社会学および生命哲学の領域に見受けられる議論を検討している。(400字×70枚程度)

第35号
(2021.9)

桐野夏生 ―散見されるリアル  作田啓一

「一線を越えること」を創作の要とする桐野文学には、非日常=リアル=怖さの公式がある。J.ラカンのリアルの観点からその特徴をまとめ、10編を取り上げ検討する。(400字×50枚程度)

 

夏目漱石『こころ』再考 ―「淋しさ」と救済  新堂粧子

K、そして「先生」はなぜ死ななければならなかったのか。ジラールー作田のモデル=ライヴァル論からの読解にラカンのL図を加えて再考し、「淋しさ」の3タイプと救済について論じる。(400字×70枚程度)

 

桐野論ノート 作田啓一

桐野論執筆のための読書メモ。(400字×70枚程度)

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